京都のお盆は8月7日~10日にお寺で迎え鐘をついて、御精霊様「おしょうらいさん」(先祖の霊)をお迎えすることから始まります。 この時期、五条坂の陶器祭りや今年は、清水寺千日詣りで本堂内々陣の特別拝観や諸行事をやっていますので、この界隈はたくさんの人で賑わっていました。
松原通りでは六道詣りがおこなわれています。松原通りは、平安時代の葬送地であった鳥辺野へ亡骸を運ぶ際に通る道筋です。 六道珍皇寺周辺はあの世と現世の分かれ道「六道の辻」と言われたのが六道まいりの由来です。
六道珍皇寺は、臨済宗建仁寺派の寺院。 入り口のテントの中では祖先の精霊が宿るとされる高野槙やホーズキが売られています。露店や茶店も結構な賑わいでした。
境内には十界之図(天国・地獄絵図)が展示されていました。京都の子供たちは、家族に連れられてこの絵を見せられ、悪いことをしたらこんな罰が待っていると教えられるのだとか。この絵図には、 血の池地獄、煮え湯など恐ろしい地獄絵図か描かれています。
迎え鐘は、御精霊様(おしょうらいさま)、先祖様の精霊迎えの鐘を撞くために並びます。この時期はすごい人出になります。寺の外の土塀までぐるりと列が続いていました。 綱を手前に曳きます。その後、静かに手を合わせます。こうやって京都人は御精霊様を迎えるのです。「迎え鐘」を鳴らして先祖の霊を迎え、矢田寺(三条寺町上る)の「送り鐘」で霊を送り帰すのです。
さてこの珍皇寺は、小野篁の邸宅跡といわれており、篁が地獄と現世を行き来したと伝承される井戸があります。閻魔堂には、閻魔大王や弘法大師とともに篁卿の像が安置されています。
平安京の官人、従三位参議左大弁であり、外交官であり、歌人、漢詩人、学者でもあった小野篁、野狂と呼ばれたり、なかなか魅力的な人物だったようです。篁については次の機会に。
ところで、閻魔大王がポピュラーですが、実は地獄には十人の大王が亡者を裁判官として裁いていたのだとか。
この十王の内、最初の七人の王の審判が七日ごとに行われるために、七日ごとの法要があり、遺族が供養することによって、その善行が故人にも及び、故人の魂が少しでも早く極楽に行くことができるという信仰から来ているのだとか。だから四十九日なのですね。
カッコ内は本地仏。この姿が本来の姿で、十王に姿を変えてそれぞれの役目を果たしていると言われています。
初七日 泰広王(不動明王) 殺生について聴取。
二七日 初江王(釈迦如来) 偸盗(盗み)について。
三七日 宋帝王(文殊菩薩) 邪淫の業について。
四七日 五官王(普賢菩薩) 妄語(うそ)について。
五七日 閻魔大王(地蔵菩薩) 六道の行き先を決定。
六七日 変成王(弥勒菩薩) 生まれ変わる場所の条件を決定。
七七日 泰山王(薬師如来) 生まれ変わる条件を決定。
一周年 都市王(勢至菩薩)
三周年 五道転輪王(阿弥陀如来)
閻魔大王が十王の中で特に著名なのは、五七日担当で、亡者が六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上)の六つの界のうち、どこに生まれ変わるかを決定する立場にあったからだそうです。
四十九日後、それぞれ定められた所に行くのですが、地獄、餓鬼、畜生、修羅に行くことが定められた亡者も、百箇日、一周忌、三回忌と供養を重ねることにより誰でも極楽に行くことができるようになっているといいます。