祇園祭の胡瓜絶ち

篠田ほつう

2008年07月16日 12:55

 祇園祭が終わるまで、氏子さんたちは、胡瓜(キュウリ)を食べないと言います。八坂神社の神紋がキュウリの輪切りに似ているからだそうです。お祀りしている神社の紋を食べるのは失礼だということのようでございます。また旬のものを断って、祭典に精進するという意味があるとも言われています。



 この木瓜紋(もっこうもん)とよばれる紋、たしかにキュウリの断面に似ております。そういえば、徳川ゆかりの人たちも、葵の紋ににているとのことで、キュウリを食べなかったといいますね。またキュウリといえば厄を封じこめる力があると信じられていたことも関係あるのかも? やはり、当時の人々の神仏に対する信仰は、現代よりもずっと厚かったようでございます。
 八坂神社のもう一つの紋章は、渦巻く水をかたどったといわれる三つ巴。八坂神社、かつての祇園社は、やはり水とかかわりがある神社なのが、ここでも分かります。全国各地にある祇園神社は、木瓜紋と三つ巴の二つを掲げているといいます。
 特に水源の近くや川筋の集落では、梅雨どきの増水事態が危険でしたし、洪水のあとは、決まって疫病が蔓延していたのでございます。祇園祭は、元々、これらの厄除けの御霊会。この洪水や疫病から、町を救いたいということへの祈りが、かつての祇園社の祭神に反映しているのではないでしょうか。厄を祓い災難を除く神=インドの祇園精舎の守護神の牛頭天王でございます。



 さてこの五木瓜(いつつもっこう)は、別名織田木瓜(おだもっこう)とも呼ばれ、織田信長(織田家)の家紋でもございます。五木瓜は何故、織田家の家紋と一緒なのかは、諸説ございます。八坂神社はもともと、比叡山(山門)の末社。元亀二年(1571)、信長が比叡山を焼き討ちした際、時の都に権力の象徴として織田家の家紋を八坂神社の紋として残したのでは? 天正の頃、信長が京都感神院の祇園に神輿を新しく寄進した際、織田家の家紋である木瓜を金で彫刻して神輿に付けたことから、木瓜が祇園の神紋になった?
 いずれにしましても、織田信長は、牛頭天王を厚く信心していたと云われています。












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