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2009年08月06日

洛北にどっしりと落ち着きのあるお寺

 深泥池をさらに北へ、岩倉の静かな地に妙満寺があります。顕本法華宗の総本山、妙塔山と号し、本尊は釈迦多宝仏。

洛北にどっしりと落ち着きのあるお寺
 
1383年(永徳3)日什(にちじゅう)により、豪商として知られる天王寺屋通妙の外護を得て草創された法華堂が始まりです。その後、天文5年(1536)比叡山の僧徒による焼き討ち(天文法華の乱)で二十一坊の大伽藍を類焼し、一時は泉州堺に逃れ、天文11年に元の地に復興したという苦難の時代を経ることになります。
 天正11年(1583)、豊臣秀吉により寺町二条に移転再建され、400年にわたり「寺町二条の妙満寺」と親しまれてきました。

洛北にどっしりと落ち着きのあるお寺

 文禄4年(1595)には、方広寺大仏開眼供養への出仕を拒んだ不受不施(ふじゅふせ)派(不受不施とは受けず施さずということで、日蓮宗以外の他宗および不信者の布施供養を受けず、信者は謗法の僧に供養しないという、日蓮教団の宗規であり信条)は弾圧を受け、同派祖日奥(にちおう)に私淑していた当寺の27世日経も耳・鼻そぎの刑に処せられたといいます。その後、昭和になって都会の喧騒を離れ、現在の地に落ち着きました。

洛北にどっしりと落ち着きのあるお寺

 「鐘に恨みは数々ござる」で知られる紀州道成寺の霊話は長唄、歌舞伎等の芸能に取り入れられている。その物語に縁あるこの鐘は数奇な運命で当山に伝わった。 正平14年(1359)3月31日、道成寺では安珍・清姫の伝説以来、永く失われていた鐘を再鋳し、鐘供養を盛大に営んだ。その席に一人の白拍子が現われ、舞い終わると鐘は落下し、白拍子は蛇身に変わり日高川へと姿を消した。その後に災厄が続いたため、清姫のたたりと恐れた寺は鐘を竹林に埋めた。その話を聞いた「秀吉根来攻め」の大将・仙石権兵衛が掘り起こし京都に持ち帰った。時の妙満寺貫首日殷大僧正の法華経による供養で怨念を解かれ、鳴音美しい霊鐘となった。(妙満寺ホームページより)展示室には秀吉直筆の書状などもある。

洛北にどっしりと落ち着きのあるお寺

本坊にある「雪の庭」は、俳諧の祖と仰がれる松永貞徳(1571~1653)の造営であり、貞徳は清水・北野(一説には祇園)にも同時に庭園を造ったとされる。 清水を「月の庭」・北野を「花の庭」(現存せず)と称し、それぞれが成就院という坊にあったことから成就院「雪・月・花」の三名園と並び称されていた。 比叡の峰を借景にした冠雪の眺望が最も美しく、これが「雪の庭」と称される由縁である。当山の岩倉遷堂の際に成就院より本坊に移築した。(妙満寺ホームページより)


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Posted by 篠田ほつう at 09:00│Comments(0)京の街角散策
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