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2010年07月20日

矢田寺

 矢田寺は、平安時代の初め、奈良・大和郡山市にある矢田寺の別院として、建立されたといわれています。もともとは壬生にありましたが、安土桃山時代の豊臣秀吉による区画整理で、寺町通三条上るの現在地に移されました。

矢田寺

 地蔵菩薩がご本尊のお寺。このお地蔵様は代受苦(だいじゅく)地蔵と呼ばれ、人々の苦しみを代わってくださるといわれています。矢田寺地蔵縁起には以下のような逸話があります。
  嵯峨天皇の臣の小野 篁(802~852)は、身は現世、魂は閻魔大王に仕えるという不思議な人物。満米上人の徳を慕って、しばしば当寺へ詣でていたという。
 ある時、閻魔大王が、「自分には三熱の苦しみがある。この苦しみから離れるために菩薩戒を受けたいので、適任者を探すように」と篁に命じた。篁は、満米上人にこの話を伝えて、閻魔庁に案内し、閻魔大王に菩薩戒を授けたという。閻魔大王は非常に感激して、そのお礼として、上人の希望により、自ら地獄を案内してまわられた。上人は、恐ろしい地獄の中にあって、あらゆる苦痛にさいなまれる亡者を見て、身の毛もよだつ思いであった。
 この時、燃えさかる炎の中にあって、生身の地蔵菩薩が亡者の身代わりとなって、地獄の責め苦を受けておられる姿を拝し、たいそう心をうたれ、礼拝し教えを請われた。地蔵菩薩は「苦果を恐れるものは我に縁を結ぶべし。わが姿を一度拝し、わが名を一度唱える者は必ず救われる」と語られた。

矢田寺

 上人は、菩薩の教えに随喜して閻魔庁を辞し、矢田寺へ戻ると、早速に仏師を呼び、そのお姿を刻まれた。けれども、どうしても思うように彫ることができず悩まれ、神仏に祈願の日が続いた。
 ある日、4人の翁があらわれて、大きな桐の木に3日3晩のうちに、地獄で上人が拝んだそのままの地蔵菩薩を造りあげた。驚く上人に、「我らは仏法守護の神である。」と告げ、五色の雲に乗り、奈良の春日山へと飛び去られた。そのため、この尊像は、春日四社明神(春日大社の神)化身の作と伝えられている。

矢田寺

 また上人は、閻魔大王と別れる時、お土産にと不思議な手箱と印文を授けられた。この手箱には米が入っており、上人がいくら使われても、常に米が箱いっぱいに満ちていたことから、人々は満米上人と尊称するようになたと伝える(上人のもとの名は満慶という)。(大和郡山矢田寺ホームページより)
  この様子が描かれた「矢田地獄縁起絵巻」が、矢田寺に遺されています。このお地蔵様には安産祈願・子孫繁栄・病患悉除・万霊供養の霊験があるといわれています。
 お盆になると、京都では、ご先祖のお精霊迎えのために「迎え鐘」を行います。六道珍皇寺が有名ですが、これに対し、矢田寺では「送り鐘」が行われます。8月16日にはご先祖様が無事冥土に戻れるように、梵鐘をついて魂を送ります。この日は特に、多くの人がこの寺を訪れます。

矢田寺

 冬の寒さが本格的に厳しくなる12月23日には、「かぼちゃ供養」も行われます。古来より冬至の日にかぼちゃを食べると、中風除けや諸病退散になるといわれていたと言います。

矢田寺

 矢田寺では、ぬいぐるみでできたとても愛らしいお守りが人気です。ご住職夫婦の手づくりなんだとか。良縁成就・安産祈願・無病息災などのご利益があり、最近では若い女性がぬいぐるみ守りを求めて、全国から訪れているといいます。
 矢田寺 京都市中京区寺町通三条上る 参拝時間 8:00〜19:00 お問い合せ 075-241-3608


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Posted by 篠田ほつう at 06:44│Comments(0)篁閻魔帳紀行
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