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2007年12月07日

桂昌院像

・・・玉枝「幸せを招くお地蔵さんって?」文寿「これも三百三十年前に桂昌院が祈念されたと伝えられています。自分以外の人の幸せをお願いすることとされているんですよ。藤原様は誰の幸せをお願いしますか?」玉枝「う~んそうねえ・・・」「このあたりは夏の時期には一面がアジサイに覆いつくされてそれは見事ですよ」
 源算上人が写経のための墨を摺ったとされる白山名水が龍の口から流れる。桂昌院の遺髪を納めた桂昌院廟、十三仏堂、釈迦堂、薬湯場「ここのお風呂は決まった日にほんとに入れるそうですよ」玉枝「へ~そうなんだ」「さあ奥の院にまいりましょう」二人は静まり返った奥の院への石段を登り始める。玉枝「あっ川の音が聞こえる。この景色、感覚、何だか懐かしいような気がするなあ。以前にどこかで聞いたような。デジャブ?わっすごい」石段を登りきるとそこには、シアターの大パノラマを見るかのような雄大な景色が眼下に広がっていた。「ここからは京や大阪が眺望できますよ」
 文寿「さあここが、最もあなたをお連れしたかったところ、世に言う・出世薬師・です。・京は堀川西藪屋町のあたりに、・・・(本文 現代編)

桂昌院像

桂昌院像

・・・京は堀川西藪屋町のあたりに、仁右衛門と云う八百屋がいたという。嫁とりをして何年にも成るのに、いっこうに子宝に恵まれず、思い余った仁右衛門夫婦。信仰厚き善峯寺の観音様にお参りしたそうな。・どうか子供をお授け下さい・と水ごもりまでしたおかげか願いが叶い、やがて生まれたのが玉のような女の子。名をたまと名づけ、大事に育てたと。お玉は近所でも評判の器量よし。 透き通るような白い肌、鼻筋の通った顔立ち、その姿はまるで京人形のようだったとな・ これがお玉・桂昌院伝説の始まりなのです。父の死後、お玉と母は二年半の間、善峯寺に奉仕しています。その後、綱吉を生み、大奥で絶大な権力を誇り、従一位にまで上り詰めた桂昌院、沢山の京都の寺院の復興にも力を注いでいます。玉の輿といわれる、その原点はここにあるんですよ」
 その時だ、傍らに愛犬を抱きかかえる桂昌院像の前にひれ伏す玉枝の口から始めて聞くはずの歌、玉枝が知りうるはずもない歌が自然にこぼれ出た。「たらちをの 願いをこめし寺なれば われも忘れじ 南無薬師仏」それは、かつてこの薬師如来に桂昌院が奉じた・・・(本文 現代編)

桂昌院像


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この記事へのコメント
こんにちは。

ブログ再開ですね。

これからも、ちょくちょく覗きにきますね。
Posted by デルピエ命 at 2007年12月07日 11:09
ありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。
Posted by 篠田ほつう篠田ほつう at 2007年12月08日 05:44
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