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2007年12月28日

京都所司代跡

 お玉が京で暮らした寛永期に、京都支配の最高責任者として設置されていた京都所司代は今で言う京都市長でございます。この頃には畿内八カ国の司法裁判権、西国大名の監視機関としての権限も与えられておりました。 設置当初、駿府町奉行以来、家康様の信頼厚く、切れ者と評判の板倉伊賀守勝重様が任じられ、子の宗重様が後を継いだのでございます。寛永期に出された京都町中可触知条々などの条例は板倉二十一か条と呼ばれ、後の京都行政の根本法となったと申します。京都所司代上屋敷跡は、中京区猪熊通り丸太町下ルあたり一帯にあったと申します。現在は、待賢小学校の玄関前に碑が残っておるばかりです。

 京都所司代跡

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