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2008年04月15日

やすらい祭

 今宮神社で京都三大奇祭と称されるやすらい祭がおこなわれました。赤鬼、黒鬼、囃子方など「練り衆」と呼ばれる行列が地元の町内を練り歩き、決められた氏子の家々を訪問して踊りを披露します。「やすらい花や、よーほい、いさぎよく踊れ!」と囃し方の声にあわせて「花や咲きたる、やすらい花や~」と唱えながら笛や鉦、太鼓の囃子とともに飛び跳ねながら躍動感いっぱいに踊りを披露していました。この踊りの先頭を行く風流傘の下に入ると今年1年病気にかからないといわれており、多くの人が傘の下に入り、無病息災を願っていました。京の春の祭のさきがけをなす祭でもあり、やすらい祭が晴れれば、その年の京の祭はすべて晴れと言い伝えられています。はい今年は晴天でした。

やすらい祭

「やすらい花」は名前のごとくその主役は花で、「やすらヘ花や(花よ、散るな)と唱えたことがなまったもので、花の精の力によって疫病神を封じ込めるために行われたものです。古く平安時代に起源をもつといわれ、桜の花の散る頃になると、悪い病気が流行し人々が苦む.ので、疫病を退散させるため神祈官らが「花しずめの祭」を行ってきました。また当時の京の人々は、「疫病の原因はまつりごと(政治)で恨みを遺した人たちの霊が祟ることにあり、御霊を慰めるために祭を修す」との考えから「御霊会」が行われたといわれています。この両者が結びつき「やすらい花」となって今日まで伝承されてきたと言われております。室町時代に流行した「風流(着飾ったリ仮装した集団が踊り回り、悪霊を鎮める行事)の拍子(はやし)もの」が加わって、次第に娯楽性を持つようになったようでございます。

やすらい祭

 さてこの今宮神社や今宮祭、やすらい祭の復興に尽力したのがかの桂昌院でありました。桂昌院は故郷・西陣のことを心にかけ、 毎年「今宮祭」の日には大奥で将軍とともに祭事を行ったと伝えられ、戦国の世以降、今宮神社が荒廃していることを 知り、1694年(元禄7年)奉行に命じて社殿造営や牛車・鉾の寄進をしたり、中断していた「やすらい祭」の復興に努めたのでございます。
 
やすらい祭

 さて参道に向かいあって立っている二軒のあぶり餅のお店はもう有名ですね。今日も賑やかに「あぶり餅 どうどす~」の客引き合戦がおこなわれておりました。「一和」さんは「元祖正本家」を名乗り、「かざりや」さんは「本家根元」を名乗っておられます。原料はお餅、きな粉、白味噌と砂糖を合わせたたれ。最も味に影響のある白味噌は「一和」さんが本田味噌本店、一方の「かざりや」さんが石野味噌。どちらも京都では有名な白味噌のお店だとか。「本家本元」争いはいつまで続くのでしょうか?でもそれが話題で賑わっているのでいいのかも知れませんね!







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この記事へのコメント
いつも楽しく拝見しています。
残念ながら、今年のやすらい祭は行くことが出来ませんでしたので、
この記事で楽しみませていただきました。

篠田ほつうさんやったら、知ったはると思いますが、
5月15日の上賀茂のやすらいがありますので、
それで取り替えそうかと企んでます。
またマニアックな記事を楽しみにしてます。
Posted by ずんずんずんずん at 2008年04月15日 13:58
ほんとにありがとうございます。まだまだ紹介したいことは山ほどあるのですが、だんだん取材先が遠くなっていくので、休みの日にぼちぼちやろうかなあなんて思ってます。これからもよろしくお願いいたします。篠田
Posted by 篠田ほつう篠田ほつう at 2008年04月19日 21:33
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