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2008年01月03日

あけましておめでとうございます

 京都の四条通を西にいったどんつきに松尾大社があります。京都最古の神社でございます。五世紀の頃、朝鮮から渡来した秦氏がこの地に移住し、山城・丹波の両国を開拓し、河川を治めて、農産林業を興したといいます。同時に松尾の神を氏族の総氏神と仰ぎ、この地に社殿を造営したのでございます。境内は初詣のカップルや家族連れで大賑わいでした。さて、能の世界には「松尾(まつのお)」といわれる宝生流のみに伝承される舞がございます。

あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます

 ・・・元服し、館林宰相となりて十年ほど経ったころであったろうか、綱吉は能楽に興味をしめし、自らも衣装をつけ好んで能を舞うようになった。 「・・・昨日は薄きもみぢ葉の 今日は濃染の色深き 西茜の峰つづき さながら四方の 錦なれども 松の尾の山の梢の秋ならで 唯時雨のみ・・・・・ 落ち葉ばかりは塵の世に 交はる誓い頼もしや・・・」宝生五雲と呼ばれる白地に5つの雲形、緘尻(とじり)が丸く内側へまいた比較的地味な形の扇子を手に「松尾(まつのお)」をおどる。颯爽と京の松尾山から神が降りて来て松尾明神参詣の廷臣たちに神楽を舞ってみせるという題目のこの舞は宝生流のみに伝承されていた。綱吉は繊細で優美な芸風を持つ観世流よりも堅実で重厚な芸風の宝生流を好んで舞った。将軍になりしのち、この影響は全国に広がった。加賀藩五代藩主前田綱紀などは江戸城での宝生友勧進能興行で綱吉に能を進められ、能楽指南役に宝生流九代宗家友春の次男・嘉内を招き、現在の石川の地を宝生流一色にしていく。「加賀宝生」といわれる土壌はこれより始まった。・・・

あけましておめでとうございます


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