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2008年04月26日

叡山焼き討ちの隠れ史跡

叡山焼き討ちの隠れ史跡

 曼殊院や詩仙堂などで有名な北白川から狸谷山を登っていくと交通安全のお守りなどで知られていますが、狸谷不動尊の奥の院にたどりつきます。そこの裏山が瓜生山・将軍地蔵尊道でございます。比較的安易にのぼれるといいますが、でもグーたらな小生にはきつかった。疲れた・・・、でもいい景色を見れて晴れ晴れと下山しました。

叡山焼き討ちの隠れ史跡

 元亀元年(1570)九月、織田信長は朝倉・浅井勢をかくまった比叡山を包囲しますが、この際、比叡山の西麓、将軍山の古城に信長の兄・織田信広以下、三好政勝・香西越後守・将軍足利義昭の手勢を加えて約二千ほどを在城させた(信長公記・新人物往来社)とあり、また、この年十一月までは明智光秀も勝軍山にあって比叡山の監視にあたっていた(兼見卿記)と申します。そういうことでここは実は有名な比叡山焼き討ちの隠れた史跡なのでございます。

叡山焼き討ちの隠れ史跡

 またさかのぼること永禄元年(一五五八)に近江に逃亡していた室町幕府13代将軍・足利義輝が、近江守護・六角義賢の援助を得て、開始した京都争奪戦においても、洛南吉祥院に陣をすえていた松永久秀軍との間に壮烈な砲撃戦が展開したのですが、万を越す三好軍が数千人で支える義輝軍を容易に攻略しえず、義輝方は屈指の要害といわれた北白川の勝軍地蔵山を占拠したと申します。六角氏と三好氏の間で和議が進められ、三好軍は北白川を攻略しえないまま、ついにこの秋、義輝は入洛を果たしたのでございます。(言継卿記・今谷明著・戦国期の室町幕府・講談社学術文庫)

叡山焼き討ちの隠れ史跡

叡山焼き討ちの隠れ史跡
 山頂の本丸跡





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