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2012年03月08日

安楽寿院

鳥羽離宮なう!
  平安時代、平安京の南方の鳥羽の地には湖のごとく巨椋池が広がり、水鳥が群れる風光明媚な土地柄でした。この池畔に贅を尽くした離宮が造られ、御殿が建ち並び、当時栄華を誇った貴族の華やかな文化の舞台になっていたのです。
 大河ドラマでは伊東四朗さんが演じた白河上皇が洛南に造営を始めた鳥羽殿は、のちに三上博史さん演じる鳥羽上皇が引継ぎ、壮大な離宮として完成を見ました。
 この鳥羽離宮の東殿に保延3年(1137)に御堂が建てられました。これが安楽寿院です。開基以来860年となります。
 現在も阿弥陀堂に奉られる本尊の阿弥陀如来坐像は、円派の手による院政期の仏像として重要文化財となっています。
 豊臣秀頼によって復興された太師堂には、弘法大師像を本尊としてお祀りし、他に大日如来、薬師如来、聖観音、十一面観音、千手観音、地蔵菩薩、不動明王、歓喜天などがお祀りされています。
 三如来石仏は凝灰岩でできた平安時代の貴重な石仏で、釈迦、弥陀、薬師三尊の三面が江戸時代に出土したと伝えられています。弥陀三尊像は現在、京都国立博物館にあります。昔はこの石仏の体を削って水で練り、子供の顔に塗るとくさが直るという信仰があったといいますので、あちこち損傷しているのはそのせいでしょうか。

安楽寿院


安楽寿院の西側には鳥羽天皇陵があり、法華堂が建てられています。
 平安時代の後期、鳥羽法皇はここを自らの陵所に定めて三重塔を建てました。塔は今はなく、その後に現在の法華堂が建てられています。
 歌人西行法師は出家する前、北面の武士として鳥羽法皇に仕えていました。大河ドラマでは藤木直人さんが熱演していますね。法皇の葬送に参加し、三首の歌を読みました。
  『今宵こそ思い知るらめ浅からぬ 君に契りのある身なりけり』
  『道変わる御幸悲しき今宵かな 限りの旅と見るにつけても』
  『訪はばやと思ひ寄らでぞ嘆かまし 昔ながらの憂き身なりせば』
 かつて仕えた法皇の葬送が終り、誰もいなくなったあとも、西行法師は一人この御陵に残り、夜明けまで弔いを続けていたと伝承されています。
 ところで、法華堂の右横にある梅は、当時、僧侶たちが碁ばかりして修行を怠ったため、境内での碁を禁止して、碁盤を埋めその上に梅の木を植えて戒めにした、ということで「碁盤の梅」と呼ばれています。現在の梅はその何代目かの子孫なのだとか。
 安楽寿院の南側には近衛天皇陵があります。新御塔の方は、大河では松雪泰子さんが演じる鳥羽上皇の皇后・美福門院(藤原得子)の墓所に予定されていましたが、女院の遺言により遺骨は高野山に埋葬されたため、先に亡くなっていた息子の近衛天皇の遺骨が知足院から改葬されることになりました。これが現在の近衛天皇安楽壽院南陵になります。

安楽寿院

安楽寿院

http://www.kyoren-cab.jp/



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