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2015年06月25日

本法寺

 堀川通今出川を上がって、寺之内通を東入ると、小川通寺之内の角にある「百々橋」の疎石が目に入ります。百々橋はかつてこの地に南北に流れていた小川に架かっていた橋です。かの応仁の乱の際、細川勝元(東軍)と山名宗全(西軍)の両軍が、この小さな橋を挟んで合戦の火ぶたを切ったといいます。まさに戦国乱世の始まりでした。
 礎石から北に裏千家のお家元、表千家のお家元などがずらりとならぶ京都の粋の路地が広がります、路地の真ん中に日蓮宗の本山「本法寺」があります。
 門を入ると本法寺の庭に通じる石畳を挟んで「くちなしの八重花」の群生と「紫陽花」の群生が咲いていました。
本法寺は、日親上人の開創で、室町時代の中頃、京都東洞院綾小路に建立されました。しかし、日親上人は、六代将軍足利義教に「立正治国論」を献じ、平和招来を直言したのですが、これが将軍の怒りに触れ、獄舎に投ぜられることになります。寺も焼却される憂き目となってしまいました。
 ある時は焼鍋を頭にかぶせる残虐な迫害もあったのだとか、世に「なべかぶり日親」といわれる法難です。その後再興され、桃山時代の天正年間に現在地に移りました。
 芸術家として後世に名をはせる本阿弥光悦の曾祖父となる本阿弥清信もまた、刀剣の鑑定や研磨などを家業として、足利義教に仕えていましたが、将軍義教の怒りに触れて投獄され、たまたま日親上人と獄舎で出会うことになります。
獄舎を出た清信は、剃髪して日親上人より法名を授かり、本光と称し、有力な日蓮宗の信者となり本法寺の大檀越となりました。
 時代を経て、天正十五年の本法寺伽藍再興の際には、光悦が私財を投じてその完成に尽力したといいます。
寺には本阿弥光悦の作になる国指定名勝・「三巴の庭」があります。室町期の書院風枯山水の影響を強く残しながらも、桃山時代の息吹を感じさせる名庭の所以は、このあたりにあるのかもしれませんね。(篠)

本法寺

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Posted by 篠田ほつう at 15:43│Comments(0)京の街角散策
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