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2008年02月12日

町家が鰻の寝床になった訳?

 二条駅の西側周辺の町家も、雪に埋もれました。ここ喫茶・雨林舎は、オーナーの・ちほさん・と愉快な仲間が集うくつろぎの空間です。ユニークな創作ランチは、野菜も豊富でおいしいですよ!。私のおすすめは何といってもほんとの生姜(しょうが)でつくるジンジャエール。ホットでもアイスでもどうぞ。

 町家が鰻の寝床になった訳?

 さて、「まちや」という呼び名は既に平安末期の書物にあらわれますが、京に町家が増えだしたのは戦国期のようです。天下を意識し、紳士的な振る舞いで入洛したのは織田信長が初めてでした。地子税を免除し、定住者を増やすなど、荒廃していた当時の首都・京都を再興していったと申します。やがて商業活動を行った庶民が職住一体の住居を構えるようになったのが町家の原型といわれています。

町家が鰻の寝床になった訳?

 そして、豊臣秀吉の時代には家の間口の広さに応じて地子税を課し、町衆たちは負担を軽くするために間口が狭く、奥行きを深くした。これが「鰻の寝床」の所以との説がございます。但し、どうもこれは、最近の研究では、俗説で、誤りのようですね。どの文献にも見当たらないといいます。
 通りに多くの家屋を建ち並ばせるためには、必然的に間口が狭く、奥行きが深くなる。 京都に現存する町家は、1864年の蛤御門の変ののちに発生した大火(どんど焼)以降に建てられたものがほとんどである。(wkipedia)のだとか。
いずれにしても、光のさす天窓、風通しの良い通り庭、水禽靴のある坪庭など、細長いスペースの中に町衆の知恵がつまっているのでございます。

町家が鰻の寝床になった訳?

 また、徳川三代将軍・家光は上洛にあたって三十万余の大軍を率い、その権威を都にしめし、一方で五千貫の銀貨の配布や京中の町家地や畠地の地子免除をおこなうなど上方融和策をあめとむちのごとくおこなっております。 




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この記事へのコメント
「うなぎの寝床」状の町家が間口に対して税金をかけたためにできたとする説をweb上にお書きですのでお尋ねします。たしかにweb上にはたいへんたくさんこの説が出まわっています。
 税金逃れ説はあきらかにまちがいなのですが、あまりに間違った説が普及しているので興味をもちました。どこからそのような説をお聞きになったのか、あるいはお読みになったのかを知りたいと思っています。古くからいわれているようですが、文献ではまだ発見できません。

 ちなみに2008年7月28日にWIKIPEDIAの「京町家」の解説を以下のように修正しました。今のところそのままになっています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%AC%E7%94%BA%E5%AE%B6
 「町家の立地する敷地は、間口が狭く奥行きが深いため、「うなぎの寝床」と呼ばれる。これは、江戸時代頃に町費が間口に応じて決められたためである【とする俗説が流布しているが、これは誤りである。通りに多くの家屋を建ち並ばせるためには、必然的に間口が狭く、奥行きが深くなる】。」  (【】内を追加しました。)

 失礼があればおゆるしください。純粋に学術的な興味からコメントしました。

神戸松蔭女子学院大学 中林浩(都市計画学専攻)
Posted by 中林浩 at 2008年08月10日 11:56
 著名な中林先生からのご指摘、驚くと同時に、勉強になりました。正すべきは躊躇しない主義ですので、修正しておきました。大好きな京都の街をもっと知ってほしいとの思いでのブログです。これからも色々とお教えくださいませ。篠田ほつう
Posted by 篠田ほつう篠田ほつう at 2008年08月15日 17:30
お返事ありがとうございました。たいへん楽しいホームページに、アゲアシトリのようなことですみません。うなぎの寝床税金逃れ説はかなり深く浸透しています。どこから始まったのか探っていますので、なにかわかりましたらおしらせください。
Posted by 中林浩 at 2008年08月16日 15:32
最近は安易にネットに責任を押し付けるような論調をやたらと見るが
学校で教えられる歴史からして嘘や捏造だらけなのだからネットの情報の方が、まだ信頼に値する

ネット関係なく
これは昔から広く言われてた事
こういうやり方が通用する類のものなのだろうか?

正直学術的な興味というのはどうも疑わしい
Posted by   at 2015年07月01日 11:47
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