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2007年12月02日

山寺への道は険しく!

 京都市内からは小一時間、数十キロしか離れていないのに、あたりはまるでずいぶんと山奥に来たように感じられる澄み切った空気と静寂が広がる。かつて王侯貴族たちが宴や鷹狩りをして遊興をせし山里・大原野。一車線の曲がりくねった細い道を走る。うっそうとした木立の中をぬけると、その頂上に位置するところに気高くそびえ立つのが、西国三十三所第二十番札所の「善峯寺」でございます。・・・ 綱吉の将軍職就任後、しばらくして、京の善峯寺の住職が江戸へ訪れた。お玉時代に奉仕した頃から三代目となる。三の丸の客殿にて面会した紫衣姿の桂昌に住職からめずらしい献上が成された。黒白の毛並みの良い鼻筋の通った子犬たちである。「ご住職殿、これはもしや?」住職「はいっ、桂昌様の御愛犬でございました・くう・さまの曾孫さま方にござりまする」「やはりそうでございましたか、とうとう迎えにいてやれ何だになあ。ほんになあ、くう・・」子犬たちを傍らに抱きかかえ、かつての西山に思いをめぐらせながら桂昌が力強くいう「山門、多宝塔、その他の伽藍の再建の儀、しかと分かり申しました。ようやっと恩返しができまする」
 桂昌は綱吉、亮賢、そしてその後、亮賢より推挙の隆光や側用人・柳沢保明らとともに、乱世のあおりを受け、荒廃のままの各地の寺院復興に力をそそいだ。桂昌は、幼きころの仁和寺で聞いた・・・(本文 時代編)

山寺への道は険しく!

山寺への道は険しく!

・・・「わん、わお~ん、がうがう」「くう、ずいぶんと山奥まできたなあ。かか様、まだ遠いん?」「ほら、みとぉみ、向こうに小さな塔が見えるやろ、もうすぐやからなあ」長い長い竹林の中を、樫原一帯を南北に貫き、太古より田畑を潤す清流・小畑川沿いに抜け、うっそうとした木立ちの中の道ともいえぬ道をずいぶんと上ってきたように感じる。少女にはなおさらのことであったろう。山を登りきると、広大な荒地の中に、いくつかの植木や畑が点々とあって、ぽつんと本堂と多宝塔、薬師堂と観音堂も質素なほこらの中にひっそりとまつられているような状態であった。・・・(本文 時代編)

山寺への道は険しく!


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