2008年01月17日
冬に咲く桜
久しぶりに寺の内界隈を散歩してみました。冬に咲く桜・お会式桜ってごぞんじですか。日蓮宗のお寺などで見られます。こちらは妙蓮寺さんのもの。

室町時代の後期、法華宗は、信者以外からは施しを受けず,また施しを与えないという不受不施の法理に従い,戦闘的な立場をとるようになりました。そのため特に山門・比叡山延暦寺からたびたび攻撃を受け,武装するようになっていきました。 法華宗の武装は,町の自治と自衛のために団結する町衆や,松ヶ崎など近郊の法華信者の農民と結びつき,武器を携え戦う「法華一揆」へと発展したのでございます。時には武家の軍勢とともに参戦し,一方で,年貢の減免要求を掲げて抵抗を示したりもいたします。法華宗は他宗派からの迫害や諸事情により,多くの寺院が移転を繰り返しました。洛中二十一本山は,天文法華の乱で焼き討ちされ,堺に逃れました。のち洛中に再興された寺院は,妙顕寺、要法寺、本圀寺、妙覚寺、妙満寺、本禅寺、本満寺、立本寺、妙蓮寺、本能寺、本法寺、頂妙寺、妙泉寺、本隆寺、妙伝寺の15か寺でございます。その後、豊臣秀吉による京都の都市改造の一環として,法華寺院の大半は寺町または寺之内に集められたのでございます。

室町時代の後期、法華宗は、信者以外からは施しを受けず,また施しを与えないという不受不施の法理に従い,戦闘的な立場をとるようになりました。そのため特に山門・比叡山延暦寺からたびたび攻撃を受け,武装するようになっていきました。 法華宗の武装は,町の自治と自衛のために団結する町衆や,松ヶ崎など近郊の法華信者の農民と結びつき,武器を携え戦う「法華一揆」へと発展したのでございます。時には武家の軍勢とともに参戦し,一方で,年貢の減免要求を掲げて抵抗を示したりもいたします。法華宗は他宗派からの迫害や諸事情により,多くの寺院が移転を繰り返しました。洛中二十一本山は,天文法華の乱で焼き討ちされ,堺に逃れました。のち洛中に再興された寺院は,妙顕寺、要法寺、本圀寺、妙覚寺、妙満寺、本禅寺、本満寺、立本寺、妙蓮寺、本能寺、本法寺、頂妙寺、妙泉寺、本隆寺、妙伝寺の15か寺でございます。その後、豊臣秀吉による京都の都市改造の一環として,法華寺院の大半は寺町または寺之内に集められたのでございます。
Posted by 篠田ほつう at 06:35│Comments(0)
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