2008年04月05日
背割堤の桜 八幡市

京阪八幡市駅をおりて京阪電車踏み切りを北へ行くこと徒歩5分、東高野街道の起点に当り、木津川に架かるのが御幸橋。京からの旅人は桂川・宇治川を下り、この御幸橋を起点に、高野山へと向ったと申します。木津川、宇治川、桂川の三川合流地にあり、男山の山裾から木津川と宇治川を渡って京都市の南端、淀に通じておりまする。御幸橋は男山に鎮座する石清水八幡宮への参道で、朝廷からの使者がこの橋を渡り、御幸道などと呼ばれていたことに由来するのだとか。

京都と大阪の境、天王山と男山に挟まれた地で宇治・木津・桂というそれぞれ大きな川が合わさり、淀川となるのですが、宇治・木津の二川は背割堤という1km以上もある長大な堤を隔てて流れていて、この堤は大きな川の合流をスムーズにし出水時の危険を減らすためのもので、二川の堤を兼ねているのでございます。その背割堤の桜は今では名所となってまいりました。

かつて淀の地には秀吉が愛妾・淀君のために築いた城と、江戸期の淀藩の城がございました。城には巨大な水車によって水が入れられ、永らく名物であったと申します。堤からは豊臣秀吉軍と明智光秀軍との山崎合戦が行われたあの天下分け目の「天王山」が望めたり、その時、・日和見・を決め込んだとされる筒井順慶の洞ヶ峠なども。西国から京都に物資を運ぶ場合、瀬戸内の海を海洋船で縦断し、いったん摂津兵庫の港に入り、ここで川舟に物資を移し変えてから、淀川を遡ったと申します。この淀川水運や木津川水運は、河川水運として国内最大の規模を誇っていたのでございます。水の要衝であり京・大阪間の交通の要衝でもある三川合流地点は、歴史ロマンを今に伝える地でもございます。

Posted by 篠田ほつう at 12:51│Comments(0)
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