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2010年01月16日

大仏さまの鎮守さま

 東大寺大仏殿前の道を東に行った正面に位置し、東大寺法華堂(三月堂)の南側に鎮座しているのが手向山八幡宮です。たむけやまと読みます。
 天平勝宝元年(749年)、東大寺及び大仏を建立するにあたって宇佐八幡宮より東大寺の守護神として勧請されました。創建以来、東大寺に属しその鎮守社とされてきましたが、明治の神仏分離の際に東大寺から独立しました。

大仏さまの鎮守さま

 この当時、あいつぐ遷都、大仏、国分寺、尼寺造営で労力と費用は並大抵ではありませんでした。大仏建立だけでも要した材料は、銅73万9560斤、錫1万2618斤といわれるほど。農耕作業や日常生活にも支障をきたし、律令国家の衰退を招く一因ともなったともいわれています。
 その銅は、当時、日ノ本の大方の銅を産する国、長門の国と豊前の国の両国から運ばれました。宇佐八幡宮の御神鏡は、豊前の田河の郡、香春の郷の銅で作られているといいます。聖武天皇の発願により大仏建立が計画されてから、材料の金、銅が不足して、聖武天皇が不足分を大唐から求めようとした時、途中の航海安全祈願のための朝使の参宮を受けた宇佐八幡宮は『八幡神が天神地祇を従えて(日ノ本の神々を誘いて協力する)、銅の湯を水とし、わが身を草木土に交えて大仏鋳造を授けよう』との託宣をした」(『巫女考』柳田国男)といいます』

大仏さまの鎮守さま

 応神天皇を本地垂迹(ほんちすいじゃく)して八幡大菩薩と尊号したのは聖武天皇で、託宣を喜び「謹んで、参議石川年足を奉迎使として、宇佐に差遣し、御霊代(みたましろ)を守護して都へ上らせた」といいます。これが東大寺境内の手向山八幡宮なのです。
 当時、宇佐では、畿内から入部した大神氏、秦一族でもある渡来の辛島氏、土着豪族の宇佐氏が八幡神の奉祭や三つの神職(大宮司、禰宜、祝)を争って覇を競っておりました。ところが、大神一族が、藤原式家の広嗣の乱の鎮圧に功を上げた頃から、徐々に辛島氏、宇佐氏を押しのけて、禰宜職も含めて、要職を独占し出しました。大神一族は『銅の湯を水と成す』匠の技と産出した銅の採掘権を差し出すことで、のし上がって来たといわれます。
 宇佐から大神(おおみわ)朝臣杜女(もりめ)を先頭に、宇佐八幡の禰宜、大宮司として大神一族が都に上がった時は、聖武太上天皇、光明皇太后、考謙天皇も行幸して『文武百官、諸氏の人ら悉く参集す』る中、帝と同様の紫の輿に乗って、東大寺に向かい大仏様を拝したと伝わります。杜女には従四位下という破格の官位と朝臣の姓が与えられました。八幡大神と比売神に合わせて、封千四百戸、位田百四十町が贈られたのです。
 そしてこの大神一族がのちに、かの道鏡事件に大きく関与していくのです。

大仏さまの鎮守さま


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Posted by 篠田ほつう at 21:09│Comments(0)伊波多紀行
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