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2008年02月18日

洛中洛外図屏風

 戦国時代の京都の様子を知る手がかりとして「洛中洛外図屏風」(上杉本、町田本、尼崎本、勝興寺本など)がございます。上杉本などは国宝ですが、その写しとしての陶板は、京都アスニーの平安京創生館(七本松丸太町西北角)で見ることができます。

洛中洛外図屏風

 さてフランシスコ・ザビエルに続いて日本にやってきたイエズス会の宣教師は、ガスパル・ビィレラでございます。永禄二年(1559年)の暮に入洛しましたが、京都に最初の教会を開こうとして家を探しますが、なかなか貸してくれる人がおらず、二年間で六回の引越しをしたといいます。それらは皆、下京の中心部にあったのですが、いずれも町並みの裏にあった借家だったと申します。「家の半分の床は裸土に過ぎず、他の半分は粗悪な葦でできていた。そして彼らをもっとも苦しめたのは、当時ことのほか厳しかった風や寒さから身を守ってくれるものがなにもないことであった」「・・・すぐ近くには別の公衆便所があって、その臭気はたえられぬほどであり・・・」(完訳ルイス・フロイス日本史)」と申します。

洛中洛外図屏風

 しかし洛中洛外図屏風には、石置き板葺き屋根の小ぎれいな町家群は描かれていますが、こういったいっそう粗末な藁屋根の裏借家は描かれていません。しかし実際には表通りから裏へ入るための狭い路地=辻子があり、借家群が密集していたことが指摘されています。「・・・ではなぜ、そうした借家群を描かなかったのか、おそらくそこには注文者や絵師の意図があったと思われます。洛中洛外図屏風は、越前の戦国大名朝倉貞景が注文したり(実隆公記)、将軍足利義輝が上洛意図をもつ上杉謙信のためにつくらせたり、そこには首都の反映や、都市の華やかさが求められた・・・金雲で町裏や場末を隠し、憧れの都を表現したのではないか・・・(洛中洛外の光と影・横田冬彦氏、天下人の時代・平凡社より)」と申します。

洛中洛外図屏風




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