2007年11月13日
絶世の美女と出会う!
明智玉・後の細川ガラシャが生まれたのは永禄六年(1563年)のことであったといいます。玉は「生まれつき非常に探究心に富み、また優れた才媛」(ルイス・フロイスの書簡)「非常な理解力と聡明をそなえた人」(アントニオ・プレネスティノの書簡)「天性の国色、容貌の美麗比倫なく、精神活発、頴敏、果決、心情高尚にして才智卓越せり」(日本西教史)であったとどの文献も絶賛しておりますが、ヨイショの部分を差し引いても大変魅力的であったようです。また夫となった忠興も信長が「器量秀れ、その志は群を抜いている、今後は武門の統率者になるにちがいない」(綿考輯録)と光秀への書簡で語ったとあります。今年のガラシャ祭りのお玉役は今里にお住まいの山田嬢が申請者の中から抽選でゲットしたそうです。


Posted by 篠田ほつう at 13:34│Comments(0)
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