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2008年05月04日

こいのぼり縁起

 五月五日の節句は、五と五を重ねる事から「重五」、菖蒲を用いる事から 「菖蒲の節句」などと呼ばれています。「五」と「午」が相通ずることか ら、初節句を「端午」「端五」(端ははじめの意)と書きました。端午の節句の起源は、中国の戦国時代、今から約2300年前、楚(そ)の国の屈原(くつげん)の故事に由来するといいます。日本の端午(たんご)の節句は、奈良時代から続く古い行事です。昔の日本では季節の変わり目である端午の日に、病気や災厄をさけるための行事がおこなわれていました。この日に薬草摘みをしたり、蘭を入れた湯を浴びたり、菖蒲を浸した酒を飲んだりという風習がありました。厄よけの菖蒲をかざり、皇族や臣下の人たちには蓬(よもぎ)などの薬草を配り、また病気や災いをもたらすとされる悪鬼を退治する意味で、馬から弓を射る儀式もおこなわれたと申します。

こいのぼり縁起

 五月五日の端午の節句に「鯉の吹流し」を立て、「武者人形(五月人形)」を 飾って男の子の前途を祝うようになったのは、徳川時代からです。鯉のぼりは、本来武家出陣の際に用いる幟が起源なのだとか。元寇の勝ち戦が5月5日、足利尊氏の天下統一の日が5月5日だったので、武家社会で幟を立てるようになったいう説もあります。初期の頃にはそれぞれの定紋の入った幟を馬印、長刀とともに戸外に立てたのが始まりとされています。これが”外ノボリ”で、現在では家の中で立てる”内ノボリ””座敷ノボリ”として残っています。幟そのものの図柄は、定紋から金時、神功皇后、竹内宿裲など武者絵へと変わっていき、江戸初期頃に鯉柄が登場して現在に至ります。そして、中国の「鯉が黄河を上っていき、その水脈(登竜門)に達したとき、龍になる」という故事から、”鯉の滝のぼり”は立身出世の例えとされるようになり、幟の柄も鯉が主流をしめるようになったと申します。




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この記事へのコメント
全く返信がないので、作業を中断しています。届いていますでしょうか?
Posted by 若桜木虔 at 2008年05月04日 15:00
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