2008年04月10日
京の大仏

京都にもかつて大仏がございました。400年以上も前!1586年の安土桃山時代、豊臣秀吉は京都の街を大改革、御土居という城壁と寺の内や寺町に仏閣を集め、京の街を防衛線でぐるりと囲みます。そして聚楽第という豪華絢爛の屋敷とともに、みずからの政治力の誇示のため、奈良の大仏より4メートル大きい19メートルもある銅製の大仏殿を造営しました。残存していれば世界屈指の観光名所となっていたでしょうね。10年後畿内の地震で倒壊し、焼失。壊れた大仏を目の前に「国家安寧を祈願した大仏が地震も予知できんとは、けしからん」と大破した大仏に、弓を射たという話もあるのだとか。

子の秀頼が豊臣の財産を使わせようと暗躍したといわれる徳川家康の勧めで、銅製のものを復興。しかしそれも江戸期の半ばにまたも地震で倒壊。その銅は「寛永通宝」の鋳造に使われたと申します。その後、木造のものが二度つくられましたが、いずれも落雷や火事でなくなってしまいました。

方広寺の鐘の下から指を丸めて穴から覗くと、淀君の亡霊が浮かび上がるのだとか!やってみたけど良よくわかりませんでした!
Posted by 篠田ほつう at 13:06│Comments(0)
│京都時空観光案内 ガラシャの巻
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