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2008年03月08日

カルタのはなし

 戦国期に宣教師たちがポルトガルから日本に伝えたもの。いわゆる南蛮渡来品の中に鉄砲・生糸・皮革などと共にもたらされた「カルタ」がございます。小倉百人一首などのカルタやいろはカルタはもちろん、トランプやタロットカード、花札などもみんなカルタの仲間です。「かるた」とはポルトガル語の「Carta」・・・いわゆる「カード」の事で、その音が日本にそのまま伝えられたと申します。「歌留多」などは日本語の当て字ですね!

カルタのはなし

その後、天正年間(1573~1591)に九州は筑後・三池で南蛮かるたを元に作られた「天正かるた」などが創られますが、やがて生産は公卿文化と紙漉きの中心であった京都に移行いたします。カルタは手軽に持ち歩ける上、場所も取らないため、戦国時代・戦陣の武士たちの骨休めに用いられたのだとか。やがて賭事に使われ始め熱中度が高まったため、1597年(慶長2年)には、四国・土佐の長曽我部元親が「博打歌留多諸勝負令停止」なる掟書を出し、賭博を禁止した例などもございます。

カルタのはなし

 花札など賭博性のある「かるた」は何度も禁止令が出され、それらと区別するためにことわざなどが書かれたかるたを「いろはかるた」と呼ぶようになりました。ひろく知られているのは「江戸かるた」ですが、実は「京いろは」が「いろはかるた」の元祖だと申します。その途絶えてしまった京かるたを復活させたのが京都市伏見区の「大石天狗堂」さん。また「松井天狗堂」さんは、手刷りのかるたを復活させ、作り続けておられます。手刷りのかるたは全国でもこの松井天狗堂さんのみで求めることができます。さてかの有名な任天堂さんなどもそうですが、天狗が花札のトレードマークになった由来はといえば、禁止令が出されていた時代、花札の隠語として「鼻」が使われていて、やがて長い鼻を持つ「天狗」が花札の象徴となっていったと申します。一度途絶えた京都文化をよみがえらせた職人方の汗を決して無駄にしたくはありませんね。

カルタのはなし

松井天狗堂 京都市下京区木屋町通正面下ル 075-371-0829
大石天狗堂 京都市伏見区両替町2丁目352-2 075-603-8688




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