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2008年03月21日

時代の主治医!間直瀬道三

 「預謹」 さしも草 もゆる思ひと 針くすり くるしまんより かねて謹め (お灸をして熱い思いをしたり、鍼を打って痛い目をして苦しむくらいなら、普段から身体をいたわっておくのがよい) かの戦国時代にあって健康法を説き、「日本医学中興の祖」と言われる名医が・間直瀬道三・でございます。今で言う守秘義務を守り抜いたその信頼の高さから、時の正親町天皇、足利義輝、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、明智光秀、毛利元就などの戦国の雄たちもこぞって彼を頼りにしたといいますし、庶民から天皇まで身分の隔たりなくその新しい医術を施したため、京都で診療を始めた道三の住まいには庶民が列をなして並び門前市がごとくだったと申します。(山崎光夫氏著 戦国武将の養生訓 新潮新書) 

時代の主治医!間直瀬道三 間直瀬道三の墓所・寺町上立売上がる東側・十念寺

 幼少より頭脳明晰でいつも傍らに四書をおいていたと言われる道三は、1519年13歳のときより、相国寺に学びます。時に五山文学隆盛で特に相国寺は京都五山(天龍寺・相国寺・建仁寺・東福寺・万寿寺)の上位に置かれ格式高き寺院でございました。道三は蔵集軒という僧坊に寝泊りし、喝食(禅宗で食事を大声で知らせる役割の僧)となって修行に励みました。掃除や洗濯といった毎日の作務をこなしながら、その合間に先輩僧が気づくと冊子を手に広げて読書にふける姿が見られたと申します。そして下野国(栃木県)の足利学校へ遊学を果たすのでございます。(近世漢方医学史ー間直瀬道三とその学統 矢数道明著 名著出版)

時代の主治医!間直瀬道三 洛中洛外図屏風に描かれた相国寺・京都アスニー陶板より

 戦国の世、戦場で斬られた兵士を、その場で診なければならない。実のある医療をしなければ、命が失われてしまう。治る医療をしなければ受け入れられない医学に対する新しい需要が生まれていたのでございます。道三はそんなときに実証医学の道を志すことになるのでございます。(同・近世漢方医学史) 続く・・・



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この記事へのコメント
はじめまして~
実は すごくエコロ好きで よく利用させていただいて おりました♪
だって 自転車乗せてもらえるンですもの~(^0^)♪


のりっくでした。
Posted by guildguild at 2008年03月23日 14:06
いつもごひいきにありがとうございます。自転車の街と言われる京で、環境に配慮しながらその生活の一助になれば幸いです。京都のいいところ残し、発展させていきたいですね!
Posted by 篠田ほつう篠田ほつう at 2008年03月26日 12:29
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