2008年06月10日
今も流れる中世郷村の用水

嵐山付近で桂川をせき止め、物集女・寺戸をへて羽束師で、再び桂川に注ぎ込む今井用水。かつて渡来氏族の秦氏が造った潅漑用水路がございました。。
西岡十一ヵ郷(上六郷・上桂、徳大寺、下桂、革嶋、下津林、寺戸、下五ヵ郷・牛が瀬、上久世、下久世、大藪、築山)が契約を結び、用水の掟の順守を誓い合い、維持・管理しており、おかげで、この地域は、随分と活気を帯びていたのでございます。

東寺に伝来する「東寺百合文書」の中には、この「今井用水」の「差図」(重要文化財)がございます。今井用水は、鎌倉時代末あら現代に至るまで、この地域の農業を支える重要な用水として、今もその流路をほぼ変えずに流れております。現在は、寺戸川、深田川と名を変えておりますが。
桂川には、多くの井堰が設けられておりましたが、これらのうちのいくつかは河川を横断する石積のもので、かつては、その漏水までが水争いの原因となったと申します。

Posted by 篠田ほつう at 06:08│Comments(0)
│伊波多紀行