2008年08月04日
古の味、今に伝える桂飴

桂の里、松尾から桂川の清流を下ってきた下桂、広々としたこの一帯は、平安の古から、景勝や保養の地として王朝貴族に愛されてきたといいます。江戸時代に入り、八条宮智仁親王がこの地に桂離宮を造営したのでございます。
桂離宮に向かう途中に桂飴本家・養老亭という創業は明暦年間(1655~57)と350年の歴史を持つ飴屋さんがございます。ご主人は12代目で、遠山さんといい、江戸初期に桂の地へ来られたそうですが、元々は美濃苗木城主遠山家の一族だとか。
江戸時代には飴屋理兵衛を名乗り、桂離宮の御用御飴所を務めておられました。かつては店の入り口に菊の御紋をかかげており、幕末、武士が飴を買いに来た時、勤王の志士であれば必ず菊の御紋に拝礼して食べ、逆に幕府方だと、腰の刀を見せて「大刀か小刀かどっちがいいか」などと脅しつけ、代金も払わず帰っていったと申します。

さてこの桂飴、古代、桂姫と呼ばれる大臣武内宿弥の娘が神功皇后の傍に仕えておりました。皇后が皇子(のちの応神天皇)を出産すると、手作りの飴で養育したと申します。桂姫は山城の国・桂の地を皇子の葆地としてたまわり、その地で飴の製法を伝えた。これが「桂の飴」の起こりであると申します。
中世、この桂の里を拠点に、桂川の鮎と飴とを都の人びとに売り歩いた桂女(かつらめ)たち。短い着物に頭を白布で包む桂包、独特の装束は、いまは時代祭の行列などでしか見ることができません。彼女たちは助産婦として都の女性のお産にも立ち会っったと申します。
桂飴は、昔ながらの製法で、麦芽糖を使った、透き通った琥珀色、小石のような飴。乳の代わりとなるぐらい滋養分に富んでおり、江戸時代は御所や宮家・大名など身分の高い人しか口にすることができなかったと申します。
消化を促進させる酵素がこの麦芽飴には豊富に含まれており、現在でもお腹を下していたり食欲不振の時などには食事代わりにいいのだとか。

桂飴本舗養老亭は、残念ながら、諸般の事情で、九月半ば過ぎまで休業でした。お電話をすると、少しでしたらお分けできますよと、休業中にも拘わらず、ご主人が、一袋分けてくださいました。
口に入れると、ほんのりとこくのあるうまみが広がる。懐かしいような優しい思い出の味、これが麦芽糖の味か……。
Posted by 篠田ほつう at 22:18│Comments(0)
│伊波多紀行