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2008年08月15日

愛宕常夜灯

 戦国時代、久我畷から北へ、現在の桂大橋あたりは、桂の渡しと言われたようです。この辺りは、丹波地方から送り出される木材の揚陸地となっていたし、野菜や穀物、諸年貢、肥料としての糞尿の運搬にもこの渡り舟が使われたと申します。
 桂川は、梅雨の時季や秋から冬への台風などでは、決まって洪水を引き起こし、流路もそのたびに変わるほどの、暴れ川だったとか。桂川周辺は、度重なる洪水で、陸路を確保するのが難しいほどに、湿地、泥地が広がっていたのでございます。

愛宕常夜灯

 さて、桂大橋西詰めに、大きな愛宕常夜灯がありました。桂大橋から真っ直ぐに延びる道(昔の山陰街道)を歩くと常夜灯が結構残っています。桂大橋西詰、地蔵寺前、本願寺西山別院近く、川原町公会堂前、西京極など。この街道は、当時、重要な幹線道路だったようですね。

愛宕常夜灯

 京都の家庭や飲食店の多くに愛宕神社の「火迺要慎」のお札が貼られていますが、京は昔から、愛宕信仰が篤かったのでございます。愛宕山山頂にある愛宕神社から発祥した神道の信仰で、京都だけでなく全国にも広まっています。愛宕神社の神様は、「火伏せ」に霊験のある神として広く信仰されるようになったといいます。古くから修験道の道場だったのですが、愛宕山に集まった修験者によって江戸時代中頃から愛宕信仰が日本全国に広められました。
 愛宕山には「千日詣」といって、7 月31 日の夜間に登れば1000回登ったと同じ御利益(ごりやく)があるという話もあります。

愛宕常夜灯

 また愛宕講には、代参講があり、名簿の順に、月ごとに、代表が愛宕山の愛宕神社にお参りをしたと申します。講箱が廻ってきた家は、講の代表としてお参りをすると共に、「愛宕常夜燈」に毎夜燈明をあげることになっていたのだとか。
 桂の渡しに灯が燈され、幾千の日々を、川を行き来する船の安全を見守ってきた灯が、川面に映し出される光景を見てみたかったものですね。
 


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Posted by 篠田ほつう at 16:50│Comments(0)伊波多紀行
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