2007年11月06日
豪商 角倉了以、素庵 その遺産は今!
さて、大八車を引いて野菜の仕入れにやってきたお玉と仁右衛門。その高瀬川の一の舟入あたり、角倉邸はその後、山形有朋の別荘となり、現在は割烹のがんこ二条苑となっております。


・・・木屋町通りにはいると米屋、材木屋、酒屋、炭屋などの倉庫や土蔵が立ち並んでいる。店先にはこの頃から普及しだしたといわれる日よけ暖簾や太鼓暖簾もそこかしこに見られた。
その西側、二条河原町あたりに、一段と立派な豪邸が構えられていた。
「てて様、でっついお屋敷やなあ。どこのええしだす?」
「角倉様いうてな、この高瀬川をつくりはった京で一番のあきんどはんのお屋敷やなあ。今では代官様になられて、 このあたりの水運の御支配役をしてはるんえ」
しばらくすると、下のほうから船団がのぼってきた、紺色のはんてんをきた船頭の合図に合わせて、丘の上の曳き子たちが、「ホーイシ、ホーイ、ホーイ」の掛け声を上げて、綱を引き、船を引っ張り上げてくるのである。
お玉はその迫力に思わず息を呑んでその様子をながめていた・・・



・・・木屋町通りにはいると米屋、材木屋、酒屋、炭屋などの倉庫や土蔵が立ち並んでいる。店先にはこの頃から普及しだしたといわれる日よけ暖簾や太鼓暖簾もそこかしこに見られた。
その西側、二条河原町あたりに、一段と立派な豪邸が構えられていた。
「てて様、でっついお屋敷やなあ。どこのええしだす?」
「角倉様いうてな、この高瀬川をつくりはった京で一番のあきんどはんのお屋敷やなあ。今では代官様になられて、 このあたりの水運の御支配役をしてはるんえ」
しばらくすると、下のほうから船団がのぼってきた、紺色のはんてんをきた船頭の合図に合わせて、丘の上の曳き子たちが、「ホーイシ、ホーイ、ホーイ」の掛け声を上げて、綱を引き、船を引っ張り上げてくるのである。
お玉はその迫力に思わず息を呑んでその様子をながめていた・・・

Posted by 篠田ほつう at 05:22│Comments(0)
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