2007年11月17日
生簀料理(いけす)の発祥も京都から?

1780年発行の都名所図会には、高瀬川の三条から二条の間の両岸に、江戸中期から栄えた生簀料理店が描かれています。鯉、鮒、うなぎなどの川魚や鴨などを生簀や庭に飼っておいて、生鮮な料理を京人や観光の者に出し栄えていたといいます。酒は出しましたが、女人禁制、三味線などの音曲も禁止であったといいます。現在でもこの地は飲食店が軒を連ねています。さて発祥はいつごろからでしょうか?
さて綱吉の生類憐れみの令では、生簀料理の禁や野犬保護に関して、事細かな法令もあったようですが、全体としてしっかりとした道徳を背景にした動物愛護令であると同時に、社会的弱者救済の先駆的内容も多々あったようです。
・・・上様、生類の次なる新しき令にございますが、魚類、鳥類をも憐れむことでございますか?」「そうである。むろん漁師のとった魚を食べることまで禁ずるものではない。それでは食すものがなくなってしまうではないか。但し、活魚料理は、これはいかん、ちと残酷過ぎる。良いか、老人や年老いたり病気になった牛馬を山に捨てる、あるいは生まれたばかりの赤子を他人の軒先に置く捨て子などは、日常茶飯と聞く。しかも野犬が捨て子を食い殺すことも頻繁にあるというではないか。もっとも憐れむべきは人の命じゃ、このようなことがなきよう厳重に監視せよ。そうじゃ、妊婦と七つより下の子の名を登録させよ。旅の途中で病気になった時、旅人を宿屋から追い出すようなことはまかりならん。治療せよ」
「うっ上様、恐れながら少々お待ちください。手がついてまいりませぬ。まことまめやかにございまするなあ。吉保、感服いたしまする」「世辞は良い、ささとせぬか。親が子を育てる力なき時は、役人が子らのの世話をせよ。乞食、流人なども保護せよ。また町人も病気の時には、幕府の許可なしに辻かごに乗っても良いこととする・・・道中において荷馬が苦しまぬよう、重量を加減せよ・・・この頃、獄中で死ぬものが多いと聞く。獄中にも風通しを良くするために、ところどころに格子を設けるようにせよ。獄中のものにも毎月五度づつ入浴させよ・・・綿衣を今年からは二つずつ与えよ。囚人とて獄中で死なせてはならぬ、よいか」「はっ早々に手配いたしまする」・・・(本文 時代編)
Posted by 篠田ほつう at 13:42│Comments(0)
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