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Posted by 京つう運営事務局 at

2007年11月10日

京都御所一般公開

 お玉の生きた時代、朝廷は後水尾上皇が院政を敷き、実質の指導者でした。そのおりゐの帝に入台していたのが、お江の方と二代将軍秀忠の最後の姫君、徳川和子・東福門院和子でございました。ほんとは仙洞御所の州浜が見たかったのですが、公開してませんでした。

 




  御所内御池の庭

・・・後水尾上皇の住まう仙洞御所の東北に位置する女院御所(東福門院和子の屋敷)にて、ある密会が行われた。茶室・醒花亭のまえに広がるおよそ十一万個もの丸石を敷き詰めた州浜が開放感にあふれている。新緑香る初夏の庭園・・・州浜の丸石は、小田原藩主が献上するために海岸の石を領民に集めさせたもので、石一つを米一升と交換したことから「一升石」と呼ばれているものだ。そこで家光の御台所・鷹司孝子名代として、養源院への参詣におとづれた大奥中年寄・朝比奈が秘密裏に女院・東福門院和子に拝謁していた。参詣はもちろん表向き、朝比奈は実は、かつて二代将軍・秀忠依頼の忍びのもの、当時の幕府のCIA長官といったところだろうか、中根壱岐守正盛の廻国者から和子が譲り受け、孝子付きの侍女として大奥に送り込んだ手のものであった・・・(本文時代編より)