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2007年11月12日

明智玉(ガラシャ)の輿入れ先 勝竜寺城

 二作目のガラシャの巻の取材もあって、11日に長岡京市で開かれていたガラシャ祭りに行ってまいりました。天正六年(1578年)、世は戦国時代、織田信長によって畿内がほぼ制圧され、明智光秀らは播磨・丹波攻略に紛争していました。そのさなか、信長の媒酌により、光秀の娘・玉(のちの細川ガラシャ)は勝竜寺城主・細川忠興のもとに嫁ぎます。現在は資料をもとに復元され、公園として整備されているこの勝竜寺城は、かつて空堀と土塁に囲まれ、鉄砲の時代に対応した先駆的な築城技術にもとづいて建てられていたと申します。石垣でつくる近世の城への移行間際のものとして、わが国の築城史上においても貴重なものであったといいます。